秋葉寺について
秋葉寺の歴史
秋葉三尺坊大権現
三尺坊は、秋葉寺の本尊聖観音菩薩とともに祀られ、遠江天狗の総帥であるともいわれる神仏習合の神。
信濃の戸隠村に生まれ、天応2年(782)の4歳の時には既に、越後蔵王権現に修行に出かけた修験者であるという。
10歳の時、いったん戸隠の父親の元に帰り、26歳の時には大阿闍梨となって、蔵王権現堂の第一の坊「三尺坊」を務め、さらなる修行を積んだ。
27歳の時、一切衆生を願って十二誓願を発し不動三昧の秘法を修した。
この護摩修行が満行をむかえた21日目の暁、三尺坊の体は烏形両翼の羽が生え、羂索を持つ迦楼羅に変身したのだという。この修行の際、立てた12の誓願とは以下の通り。
【十二誓願】
一、自他出火の難 | 二、弓箭鉄火の難 |
三、無実繋累の難 | 四、内外病疾の難 |
五、受怨呪岨の難 | 六、女人分娩の難 |
七、電雷風水の難 | 八、刀杖迫害の難 |
九、毒薬害身の難 | 十、毒蛇悪獣の難 |
十一、訴訟係諍の難 | 十二、貪瞋痴疑の難 |
そして、信者には次の呪文を7回繰り返す時に、一切の迷いが消滅して宿願達せられると説法した。
「唵毘羅毘羅乾毘羅乾能裟婆訶」(オンピラピラケンピラケンノソワカ)
この呪文を真言といい、梵語で言うところのマントラである。
マンは思想の意味を表し、トラは護るという言葉。即ち思想を護衛する言葉であり、邪をはらい、遠のけてしまう神聖なる言葉なのである。
火防の寺 秋葉寺
秋葉寺と号したのは、昔からこの山は水が乏しかったが、三尺坊が神勅を蒙って天龍八部を招請したところ、
たちまち応験があって霹靂震雷して一夜の中に西北の炭にあたるところに泉が湧出したという。
人々が歓喜して水中を見ると、潔白の明珠2つ輝いているのが見えた。
これこそ蛟龍頷下の宝玉であった。
この泉は実に不思議の霊水で、大旱の時雨ごいするとたちまち雨を呼んだ。
みな竜神感応の名水と呼んだ。
また池の中でガマが泳いでいるのをよく見ると、背中に秋葉の二字が認められた。
このことより、この寺を秋葉寺と号したのである。
これ以後、秋葉寺では本堂本尊として聖観音菩薩を祀るとともに、
三尺坊没後は真殿に秋葉三尺坊大権現と称して祀るようになり、火防の霊威あらたかな山として、
朝廷をはじめとして武家、商人など庶民にいたるまで広く信仰を集めるようになっていくのである。
秋葉寺と秋葉神社の区別
現在秋葉山の頂上付近にある秋葉神社は、明治6年の神仏分離令の混乱期に乗じてつくられたもので、当山の火防の霊験とは無関係の宗教施設であることは明らかである。
その祭神はその時京都愛宕山より勧請した迦具土神であり、千有余年来つづいて来た当寺の秋葉三尺坊大権現ではない。この厳然たる歴史的事実や様々な物的証拠からして、当寺が明治6年まで秋葉山全体を支配していたことは明らかで、識者の認めるところである。
家人の出世幸運を加護する「出世大黒天」
【開運出世大黒天誓願】
- 一、貪欲
- 常に右手の槌にて貪者を打導を与える。
- 一、利徳
- 上を見ず下を見ずの利徳を与える。
- 一、知慧
- 大きな知慧袋を背負民に智を与える。
- 一、人徳
- 人徳を積み大服心の徳を与える。
- 一、金徳
- 利益の五徳を俵の如く積重を与える。